住職&坊守のおてらダイアリー

お朝事会&築地本願寺

昨日6日は、第1連区(北海道〜静岡の東日本)青年布教使研修会が開催され、築地本願寺へ行ってまいりました。午後からでしたので、少し早めに静岡を出て、上野の国立博物館にて開催中の美術家内藤礼さんの個展「生まれておいで 生きておいで」を鑑賞いたしました。内藤礼さんは、私が関わっていた宗派の現代版寺子屋「スクール・ナーランダ」に講師で来ていただいたこともあるアーティストで、「生と死」を切り離せないものとして捉えておられ、非常に仏教的な感性を感じる方です。
今回の個展は、国立博物館の収蔵品やその建築空間との出会いから構想が始まったそうですが、1万年という時を超え、縄文時代の土製品に内藤さん自らの創造と重なる人間のこころを見出し、そこに「生の内と外を貫く慈悲」を感じたと仰います。現代アートなので、私のような芸術センスの全くない者にとってはなかなかハードルの高い(意味がわからない)アートではありますが、事前に内藤さんのインタビューを読んでいったりしましたので、その一端ではありますが、内藤礼ワールドを感じることができました。そしてそれは、表現方法は違えど、今私を照らしてくださる阿弥陀さまのお慈悲のはたらきそのものを表しているのではないかと感じざるを得ないような、そんな世界観でもありました。「生まれておいで」は私たちにも言える言葉かもしれませんが、「生きておいで」は、私たちの視点ではあり得ないセリフです。内藤さんの感受性の凄さをひしひしと感じます。

さて、午後からの研修会自体も大変興味深いお話でした。「ナラティブ」という物語とか語り、ストーリーと訳されるものについて考える研修会でした。ご講師は大治朋子先生で、ワシントンやエルサレム特派員も経験された毎日新聞の記者です。人は一つ一つの事実を記憶しているのではなく、一連のストーリーとして記憶しているので、同じ事実だったとしても人によって随分と違ったものになることは多々あるとのことで、そのナラティブには戦争すら引き起こす闇の部分と、人を救う光にもなりうる力を持っているとのこと。まさに法話とは、この私の人生をどのように意味づけ、私の人生の物語はどのように締めくくられていくか、我々浄土真宗が伝えるべきことは決して少なくないと感じましたし、色々な気づきや学びをいただいた研修会となりました。

そして今朝はお朝事会。冒頭の写真にも写っていますが、今日は4人の子どもが参加してくれたので、平均年齢がグッと下がりました。まだまだ残暑厳しい中ではありましたが、皆さま早朝より、ようこそお参りくださいました。そして清掃のご奉仕もありがとうございました。

そして、お朝事会のあと、初七日のご法事をお勤めさせていただき、その後の法事は前住職に任せ、再び築地本願寺へ行ってまいりました。今日は築地本願寺仏教壮年会の講話会に講師として呼ばれていました。教覚寺の壮年会や女性の会で実施した弔辞ワークを行ったところ、築地本願寺の皆さまにも大変喜んでいただけて、ホッとしました。壮年会の写真は撮れませんでしたが、ちょうど今日は築地本願寺で結婚式が行われたようで、式前の写真を撮りましたので載せておきます。

明日は少年会とキッズサンガクラブとご法事と教覚寺の将来を考える会。盛りだくさんなので、今日はもう寝ます。。。

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PROFILE

住職 住職

学生時代から海外に興味を持ちアメリカやブラジルへ留学。大学卒業後に京都で仏教を学び、静岡へ戻る。現在は教覚寺の住職をつとめながら、週に1度ブラジル人学校で子ども達に日本語と英語を教えている。子どもや若者とお寺との接点をつくろうと、全国の仲間達と奔走中。

坊守 坊守

仏教の知識は全くないまま東京から嫁ぎ、とにかく奮闘中の2児の母。体を動かす事なら何でも好き。方向音痴で彷徨うのも苦ではないほど。まだまだ未熟者で頼りないですが、「大好きなお寺」と言ってもらえるように、みなさんの声を聞きながら日々励んでいきたいです。

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