概要と歴史

概要

  • 寺名
    松江山 教覚寺(づんごうざん きょうがくじ)
  • 宗名
    浄土真宗本願寺派(お西)
  • 本山
    龍谷山 本願寺(西本願寺)
  • 宗祖
    親鸞聖人(しんらんしょうにん)
    [1173年5月21日〜1263年1月16日]
  • 本尊
    阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)
  • 開基
    文暦元(1234)年
  • 初代
    光信房(こうしんぼう)
    ※親鸞聖人直弟子の一人とされる
  • 寺宝
    親鸞聖人御真筆『唯信鈔文意』(一部良如上人補筆)
    聖徳太子像「南無仏の像」(鎌倉期)ほか
  • 阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)
  • 境内の親鸞聖人尊像
    境内の親鸞聖人尊像江里敏明制作[1982年]
  • 寺宝『唯信鈔文意』
    寺宝『唯信鈔文意』親鸞聖人御真筆(一部良如上人補筆)
  • 寺宝 聖徳太子像『南無仏の像』
    寺宝 聖徳太子像『南無仏の像』[鎌倉期]

お寺の歴史

教覚寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。鎌倉初期の文暦元(1234)年、宗祖親鸞聖人が関東より京都にお帰りになられた時、入江庄(現在の静岡市清水区)に居住していた光信房(1202~1287)は聖人の教えに帰依して御弟子となり、自宅を転じて一寺を建立し、念仏の道場としました。これが教覚寺の起こりです。

それから20数年後、親鸞聖人が85歳になられた頃、光信房は今一度拝顔を得ようと思い立ち、はるばる京都を訪れます。再会を喜びあったお二人は、涙にむせびつつ只々お念仏にくれられたといいます。そして、いよいよお別れに際して、聖人は老体を顧みず『唯信鈔文意』を御染筆になり、今生の形見として光信房にお与え下さいました。これは、現在も教覚寺の寺宝として大切に伝えられています。

『唯信鈔文意』
『唯信鈔文意』

17世紀初め、第9代乗念の時に府中桶屋町(現在の静岡市葵区)に移った教覚寺は、元和2(1616)年第10代乗真の時、徳川家康公の死去に伴い江戸に移っていった家臣松下常慶の屋敷を譲り受けて、現在の地に移転しました。それにちなんで、昭和20(1945)年までは町名を「常慶町」と呼び、教覚寺境内地だけで一町内という珍しい町でした。

常慶町の町名碑
常慶町の町名碑

第13代寂静房乗空(1731~1813)は、『真宗僧名辞典』に「駿河教覚寺、号南教、称寂静房、行状端正、人称して〈駿河の阿弥陀〉といふ。僧樸(京都の学僧)等と交遊あり」とあって、なかなかの人物であったと伺えます。その教えは県下一円は勿論、遠く山梨県にも及んだと伝えられ、いくつかの法語や歌を残しました。

明治の初めには、当時静岡藩の勘定組頭を務め、後に明治の大実業家となった渋沢栄一翁一家が、暫く教覚寺に寄宿していたこともあったようで、長女の穂積歌子著『はゝその落葉』に教覚寺のことが記されています。

昭和15年以前の本堂

その後、昭和15(1940)年の静岡大火により教覚寺は全焼してしまいますが、門信徒のご協力のもと、昭和49(1974)年に現在の本堂が建立されました。そして、平成元(1989)年には「教覚寺会館」が、平成11(1999)年には教覚寺門信徒みんなのお墓「法縁廟」が完成、さらに平成21(2009)年に休憩所「寂静庵」ができ、多くの方々にご利用いただいております。

令和4(2022)年、第21代乗宏から22代乗摂に住職が継職されました。この激動の時代の中で、開基以来、一貫して果たしてきた仏法聴聞・念仏相続の役割をさらに果たすべく、教覚寺は皆さまとともに歩んでまいります。

アクセス

JR静岡駅から西方向に徒歩15分程度の市街地にあるお寺です。
静岡市役所から常磐公園を結ぶ青葉シンボルロードに面しています。

電車の方
JR「静岡駅」から徒歩15分
静岡鉄道「新静岡駅」から徒歩15分
バスの方
しずてつジャストライン「七間町」停留所から徒歩3分
お車の方
駐車場有り。一方通行が多いエリアですのでお気を付けてお越しください。
自転車の方
駐輪所(屋根付き)有り。
松江山教覚寺
〒420-0034 静岡市葵区常磐町2丁目8-12
TEL : 054-252-5091