住職&坊守のおてらダイアリー

6月の門信徒会例会

毎月1日はお寺の日、門信徒会例会です。

コロナ以降、密集を避けるため昼と夜の2回に分けるようになりましたが、その変化にも随分と慣れてきたような気もします。さて、今月の例会は午後の座に71名、夜の座に27名、合計98名がご参拝くださり、一緒にご聴聞いたしました。

今月から、海外での寺院や教会で行われているような、初めてご法座に参加した方をみんなでウェルカムする時間を設けてみました。誰もが歓迎される場所がお寺だと思います。そんな雰囲気を、初めて来られた方が少しでも感じていただけたら嬉しいなと思います。コンセプトは変えませんが、やり方はこれから模索していきます。

御法話では、松扉哲雄師の「”あたりまえだ”と言うて まだ不足を言うて 生きている」という言葉を味わいました。松扉師は、なぜ仏法を聞くのかということに対して人生を深く生きるためと仰っています。深く生きるとは、おかげさまの一生であることに目覚めさせていただくことであり、そのためには教えに出遇うことが大事であるともお示しです。
この言葉は、私に2名の身近な人を思い起こさせます。1人は祖父で、生前「此の世をば おかげさまでと終るとき ただちに迎ふ 西の彼の岸」という句を残しています。「おかげさま」と合掌して人生を終えていった祖父の姿が目に浮かんでくるような句です。また、もうお1人は前責任役員で、昨年9月にご往生された勝山純一さんです。ご往生される4日前に「足裏君、支えてくれてありがとう 弥陀の本願ありがとう」という言葉をご自身の足形とともに残されています。普段は気にもとめないような自身の足裏に合掌して人生を終えていく感覚は、子どもの頃からずっとご聴聞されてきたゆえの感性ではないかなぁと思うのです。もちろん、足裏は象徴的なもので、ご家族をはじめ、ありとあらゆる人やものが自分をここまで支えてきてくださったという”実感”が伴った言葉の響き・強さを感じます。
果たしてそのような実感が私にあるのか、、、言葉としては使っているのですが、、、お恥ずかしい限りです。。。住職になるとは、仏法の集中治療室(良い人間いなるための治療ではありません、仏さまの眼を通して自身に出遇っていくものです)に入るようなものと受け止めています。。。

毎月1日はお寺の日。ぜひご一緒にご聴聞させていただきましょう。(2回目笑)

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PROFILE

住職 住職

学生時代から海外に興味を持ちアメリカやブラジルへ留学。大学卒業後に京都で仏教を学び、静岡へ戻る。現在は教覚寺の住職をつとめながら、週に1度ブラジル人学校で子ども達に日本語と英語を教えている。子どもや若者とお寺との接点をつくろうと、全国の仲間達と奔走中。

坊守 坊守

仏教の知識は全くないまま東京から嫁ぎ、とにかく奮闘中の2児の母。体を動かす事なら何でも好き。方向音痴で彷徨うのも苦ではないほど。まだまだ未熟者で頼りないですが、「大好きなお寺」と言ってもらえるように、みなさんの声を聞きながら日々励んでいきたいです。

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