6月の門信徒会例会
昨日は6月の門信徒会例会の日。昼の座には87名、そして夜の座には27名、合計114名がお参りくださいました。暑い中でしたが、たくさんの方がご参詣くださり、有り難いことです。
まずは、先月に教区表彰を受けられた三森さんの表彰を行いました。三森さんは門信徒会例会を1年間1回も休まないという皆出席を、昨年で合計15年を達成されました。お聴聞を大切にされるそのお姿に敬意を表し、教区表彰に推薦いたしました。三森さんおめでとうございます。まだ門信徒会例会にお参りしたことのない方も、是非一度ご参加ください。定期的に、皆さんと一緒にお聴聞いたしましょう。
その後は、5月30日に開かれた壮年会50周年記念大会の御礼を申し上げ(まだこのダイアリーでは報告できておりませんので、近日中にご報告いたします)、「ほとけさまは」という仏教讃歌を歌い、そして今月の法語カレンダー「人間とは自分で自分の始末を仕切れぬ者の別名である」という高光大船師のお言葉を味わわせていただきました。始末とは、その字の通り「物事の始めから終わり」であり、仕切るを辞書で引くと「ある範囲の物事を掌握し処理する」と出てきます。すると、人間は自分で自分の始まりも終わりも掌握することができない者であるという意味になろうかと思います。高光師の言葉は2021年にも取り上げられており、その時は「人間は我を知らず我ほど知り難いものはないのである」というお言葉で、今月の言葉ともつながる内容でした。まさに人間の本質をつくお言葉ですが、そういう私がいるからこそ、阿弥陀さまはご本願をおこされ、そして成就されたのでありましょう。この言葉の背後には、そんな自分自身のこともわからずに迷い続けるこの私こそ救わずにはおれないという、阿弥陀さまの大いなるお慈悲の温もりがあるように感じました。
皆さま、ようこそようこそお参りくださいました。



学生時代から海外に興味を持ちアメリカやブラジルへ留学。大学卒業後に京都で仏教を学び、静岡へ戻る。現在は教覚寺の住職をつとめながら、週に1度ブラジル人学校で子ども達に日本語と英語を教えている。子どもや若者とお寺との接点をつくろうと、全国の仲間達と奔走中。
仏教の知識は全くないまま東京から嫁ぎ、とにかく奮闘中の2児の母。体を動かす事なら何でも好き。方向音痴で彷徨うのも苦ではないほど。まだまだ未熟者で頼りないですが、「大好きなお寺」と言ってもらえるように、みなさんの声を聞きながら日々励んでいきたいです。