住職&坊守のおてらダイアリー

門信徒会例会

早いもので、もう今年の半分が終わり、昨日から後半に入りました。後半の最初の行事は門信徒会例会です。昼の座に82名、夜の座に24名、計106名がお参りくださいました。7月1日は私の曽祖父(祖母の父)藤井制心の祥月命日で、作曲した仏教讃歌の中から「夕べの歌」を皆様と歌いました。

今月の言葉「浄土とは違ったものが違いをもったまま調和することができる世界」は坂東性純師の言葉ですが、師は東京大学インド哲学科を卒業、そして同大学院も修了後、オックスフォード大学へ留学されたということもあり、帰国後は、鈴木大拙師の『教行信証』英訳に際してグロッサリー(用語集)を担当されたり、仏教伝道協会の仏典英訳作業の中心メンバーを務められたりと、深い仏教の知識と卓越した英語力を発揮されて、仏教の国際化に大きく貢献された先生でいらっしゃいます。私も携わらせていただいている築地本願寺の英語法座でも、幾度となくご法話くださったと聞いております。そして、あの『教行信証』の草稿本(通称「坂東本」)が伝わる報恩寺のご住職でもいらっしゃいました。

今月の言葉を見た時に、真っ先に思い起こされたのが親鸞聖人の「清風宝樹をふくときは いつつの音声いだしつつ 宮商和して自然なり 清浄勲を礼すべし」という御和讃です。いつつの音声とは日本古来の音階である宮商角徴羽の5つで、そのうち宮商は調にもよりますが、宮をドとすると商はレとなり、いわゆる不協和音なのです。違ったものが違ったまま調和するというのは、我々の世界でもあることかもしれませんが、それはまさに和音の時。自分と考え方とかフィーリングみたいなものが合う人とは一緒にいて楽しいし、居心地もいい。そういう人もいるけれど、中にはこの人とは合わない、一緒にいると気まずい、もっというと、会いたくもないという人もいるかもしれませんね。これはまさに不協和音です。お浄土というのは、そういうもの同士でさえも調和していく世界なのだと説かれているのです。私たちが感じる不協和音が、不協和音にならない世界がお浄土であるとも言えるでしょうか。そうなると、最初から不協和音が存在するというよりは、私が勝手に不協和音であると感じているだけなのかもしれません。その原因はまさに自分が正しくて相手が間違っているという執着です。そういう心がいかに強いかが、お浄土の世界を通して知らされ、そして、目指すべきはお互いが融和していく世界であることも知らされます。ただ、それはそんなに簡単な話ではありません。そこを目指せば目指すほど自分の都合や自分の正しさに執着する自分に気付かされるということでもあります。ただ、その方向を向くということはとても大切なことだし、そんな「執着から離れられない自分」を省みながらも、そのような私こそ見捨てることはできないという阿弥陀さまの大きな願いの中に生かされていることに感謝の念が湧き起こる、これが生活信条の二番かなぁと味わわせていただいたことでした。

ようこそようこそお参りくださいました。有り難うございました。

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PROFILE

住職 住職

学生時代から海外に興味を持ちアメリカやブラジルへ留学。大学卒業後に京都で仏教を学び、静岡へ戻る。現在は教覚寺の住職をつとめながら、週に1度ブラジル人学校で子ども達に日本語と英語を教えている。子どもや若者とお寺との接点をつくろうと、全国の仲間達と奔走中。

坊守 坊守

仏教の知識は全くないまま東京から嫁ぎ、とにかく奮闘中の2児の母。体を動かす事なら何でも好き。方向音痴で彷徨うのも苦ではないほど。まだまだ未熟者で頼りないですが、「大好きなお寺」と言ってもらえるように、みなさんの声を聞きながら日々励んでいきたいです。

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