2026年
5月
続「教化活動」で一句
5月になりました。5月2日が八十八夜新茶の日ですね。また5月といえば親鸞聖人のお誕生日降誕会があります。教覚寺では壮年会50周年記念法要と降誕会を併せて5月30日に勤められます。

さて、先月に引き続き今月も「教化活動」で一句を募集いたします。特にいよいよ記念法要の月なので「壮年会で一句」を!また未だ出ていない教化活動や、全員が所属する「門信徒会で一句」などもお願いします。
「仏縁と 酒宴でつなぐ 壮年会」
このページ以外にも「リアル・ポスト」に投稿でも結構です。一人何回でも応募できます。以上、多くの方の投稿を楽しみにしています。(k.m)
門信徒が運営するコーナー。編集委員から投げかけられるお題に答えてみよう!門信徒同士の交流の場としてお楽しみください。
ご法話で一句
法話沁む八十八夜の雨のごと
「キッズ・サンガ」で一句
あー止めよう でも皆の笑顔が 続けていく糧
年を重ねていく私達。だんだん大変になっていく。
でも、最終的には皆様の笑顔(大人も子供達も・・)、
”おいしい”、”楽しい”、”またやって”等の言葉が
また来年も頑張ろう!という気持ちにさせてくれます。
とても胸に響く一句ですね。
続けてこられた方だからこそ出てくる、本音とぬくもりがあります。
「止めよう」と思う瞬間がある――
そこを隠さず、その上で「笑顔が糧になる」と結ぶところが、本当に
温かいです。
壮年会へ 椅子の片付け 教覚寺の誇り
いつも、あのスピーディな片付けありがとうございます。
感謝と活気が、そのまま伝わってきます。
行事のあと、皆でサッと椅子を片付ける光景が目に浮かびます。
こういう“見えにくいご奉仕”に光を当てているところが、とても
いいですね。
お聖教を読む会に出逢い参らせて頂くご縁です。
後に、プリントを写して復習し、つくづく思うことはなんと無知な我の愚かさと驚きです。
「なんと無知な我の愚かさ」
仏法は、知識を増やして
「自分は分かった」となる道ではなく、
むしろ「分かっていなかった我」
を知らされていく道なのかもしれませんね。
一日の
法話楽しむ
月始め
門信徒例会の空気が、静かに伝わってきます。
「法話を楽しむ」という言葉が、とても自然で良いですね。
“聞かなければ”ではなく待っていました、楽しみですと
いう心が感じられます。
壮年会で一句
早寿と呼ばれて50年 壮年会は道半ば
これは深いですね。ユーモアの中に、人生の重みと
誇りが入っています。
「早寿」という言葉に、長い年月が凝縮されていて
「道半ば」が “もう終わり”ではなく、前向きさがあ
りますね。
壮年会で一句
壮年会に 居心地良さを 見つけたら
とても自然で、しみじみとした一句ですね。
「見つけたら」で終わるところに、余韻があり
“気づけばここが居場所になっていた”
そんな感覚が伝わってきます。
壮年会で一句
壮年会 年をとっても 若葉色
本日の実行委員会で出たイメージそのものです。実際みんな精神年齢が若いです。
とても爽やかで、希望のある一句ですね。
「若葉色」がやわらかく、新しく、これから伸びていく感じ
があり読むと「年を重ねるのも悪くないな」と思わせてく
れますね。
壮年会で一句
うれしいな 壮年会で また飲める
「また飲める」に、“また会えた”“また元気だった”という
安心感まで入っていますね。
ただお酒の句ではなく、ご縁の句になっています。
仲間と生きる楽しさがいつもありますね。
壮年会で一句
いつまでも 元気に動くぞ 壮年会
元気があって、とても前向きな一句ですね!
「動くぞ!」という気持ちがそのまま出ていて、
読んでいる側まで元気になります。
壮年会で一句
みな集えば 話の華ひらく 壮年会かな
みな集えば 笑顔あふるる 壮年会かな
壮年会の“空気”がそのまま伝わってきます。
「話の華」が にぎやかさと親しさが、また
「笑顔あふるる」が自然で、場の安心感が出て
お酒がなくても、行ってみたくなりますね!
壮年会で一句
壮年と 言われつづけて 枯れすすき
これは味がありますねえ。まるで「いも焼酎」
のようです。
「枯れすすき」が、ただ寂しいだけでなく、
どこか風情になっていて、春になればまた
風に揺れますね!
ダーナ活動は
「布に糸 命吹込み 届けます」
私達が作った作品を、買って貰うことで、色々な所に募金させて貰っています。月一回、お互い様の気持で、皆で集まって、お喋りしながらの作業は楽しいですよ^_^
「作ること」と「届けること」と「支え合うこと」が、
一つにつながってとてもあたたかい活動ですね。
ただ物を作るのではなく、“心を入れて送り出す”
感じが伝わります。
お聖教を読む会です。
お聖教 熟読玩味 法味かな
丁寧に読み込む姿勢と仏法の味わい
全体が簡潔で力強いとても格調の
高い一句ですね!
お聖教を読む会で一句
お聖教 学び我が身を 振り返える
「学び」と「我が身」がきちんと結びついていて、
**聞法の要(かなめ)**が出ています。
自分を見つめる場としての学び、その実感が伝わります。