2025年
7月
語りつぐ戦争、つなげたい平和①
もう西日本は史上最速の梅雨明け、真夏日が続いていますが、体調にはお気をつけて下さい。さて7月はお盆の季節です。教覚寺では12、13日に盂蘭盆法要が行われます。

今年は戦後80年の節目の年、そこで今回は7月、8月の企画としてあなたが体験した/聞いた“あの日の話”を集めています。未来のために、今、語りつぎましょう。
私の祖父母、叔父、叔母は終戦を朝鮮半島で迎え、大変な思いをして日本に帰ってきたとのこと。父は満州に近いところでシベリア抑留、2年後に帰国。宝台橋を渡れないぐらい衰弱していたとよく叔父から聞いていました。こんな家系ですが墓地は江戸中期から教覚寺にお世話になっていたようです。(k.m)
門信徒が運営するコーナー。編集委員から投げかけられるお題に答えてみよう!門信徒同士の交流の場としてお楽しみください。
「空襲警報が鳴り防空壕へ避難した後、芋畑へ戻るとすべて燃え、焼き芋になっていた。助かった喜びで近所の人と分かち合いながら、涙を流して食べた。」と聞きました。 昔、通っていた私の小学校には芋畑があり、夏休みには“水かけ当番”がありました。子どもの時にその話を聞いたので、とても印象に残っています。
願い
世界中のお母さんは、我が子に「どうか幸せに過ごせますように」と送り出す。それなのに生まれた場所なのか、時代なのか、大人達の争いに巻き込まれて、辛い思いをする。どうか子供達が笑顔で過ごせますように、争いがなくなりますように、願わずにはいられない。
私の母は東京大空襲で家を焼き出され親戚がいる春日部(埼玉県)まで歩いたと聞きました。
家には入れてもらえず物置小屋のようなところで寝泊まりしたようです。母は子どもでしたので叔母さんが内緒で持ってくる甘いお菓子が美味しくて嬉しくてしかたがなかったと話してくれました。埼玉に来たおかげで父と知り合ったことを思うと不思議な縁を感じます。
たくさんの犠牲の上に自分のいのちがあると思うと大事にしなければと思いますし、何より阿弥陀様に願われたいのちですから大切にしてお念仏の中を生きていきたいです😌🙏